■□■ petty cash book.5 ■□■
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どのくらいの時が経ったのだろう?
プラモデルばかり買っていたヨシヤ少年も中学校に入学した。
このおこづかい帳の再開にも「もう中学生なんだからしっかりしなきゃ!」という思いが込められているように感じられる。
さすがお兄ちゃん。
大人の階段のぼるヨシヤはまるでシンデレラだ。

同世代の男性と話していると必ず感じる“銀蝿スピリッツ”又は“たのきん魂”。
それをサトウヨシヤに感じないのは私だけではないはずだ。
いわゆる“なめ猫世代”のサトウヨシヤが、中学生になってからもおこづかい帳をつけていたという事実の中にその秘密が隠されているような気がする。

漢字は増えていないけれど
相変わらず消しゴムは使っていないけれど
確実に大人になっている。
らしい。
2月11日 へそくり プラス¥1000

何故へそくりをここに書く?

4月11日 おつかいののこり \25

頼むから「お釣り」と書いてくれ。
母アツコに「お釣りあげるから東急に行ってネギ買って来て」とでも言われたのだろうか。

4月13日 えいがのおつり プラス¥560

ここは「残り」で良いだろう。

オールひらがなである。

なんか情けない。

4月20日 スケートボード マイナス¥1585


おしゃれな使い道。

5月5日 母にもXた プラス¥230

読めない。
母にもった → 意味不明
母にもぅた → 関西弁風。
母にもろた → これまた関西弁風。

5月5日 こどもまつりのおつり プラス¥220

漢字を使おう、漢字を!
たとえ、お祭りの正式名称がひらがなだったとしても。
中学生としてのプライドを持て。

5月5日 シャープペンのしん マイナス¥100

100という数字が、ちょっと繋がり気味に書かれている。
特にゼロ2つの書き方を見てください。

明らかに大人ぶっています。

 ■□■サトウヨシヤ・本人解説 ■□■

まだあったか、こずかい帳、、、。

しかも中学生とは。

そろそろ本気ではづかしいぞ。


まず<ヘソクリ>とはなにか問うていきたい。

基本の<ヘソ>は何となくわかる。

バカボンのパパみたいな腹巻きに大事な物を肌身離さず身に付けておく、そんなニュアンスの<ヘソ>だろう。

じゃぁ<クリ>は何だ?

クリスチャンか?

なんとなく大事な十字架などを肌身離さず持っている感じはある。

しかしクリスチャンはそんなことをしない。

してほしくもない。何となく、、、。

アッ栗か。

拾った栗を腹巻きに隠して腹が減ったら食べるのか?

BGMは山田耕作で。

これは時代、共に信憑性がありそうだ。

もう少し探ってみよう。

<ヘソクリスマス>はどうだろう?

毎日がクリスマス。

夢があってこれはいい。

しかしもう大人なのだから<ヘソクリスタル>に落ちつこう。

なんとなくアダルトな雰囲気と高級感が満載だ。

つじつまは合う。

見事すぎる。

ヘソにいつもクリスタルをひとつまみほど入れておく人生は、捨てた物じゃあない。


、、、さて。

最初に言っておくが僕にヘソクリは必要無かった。


皆さんは多摩川大洪水というのをご存知だろうか?

たまに<カメラがとらえたその瞬間!スペシャル>みたいので放映されているのでご存知の方もいるだろう。

知らない人に説明するならば、多摩川大洪水とは多摩川が大洪水になったことだ!


ある台風一過の翌日。

家でテレビを眺めているとなんと、家からチャリで5分の多摩川が氾濫し近隣の家々がながされているではないか。

スワッ一大事!とばかりに僕と父カツオは母親の制止を振りきり強く生暖かい風の吹く午後、多摩川へチャリをとばした。

自転車を乗り捨て急いで土手に上がるとテレビと同じ風景が目に入った。

家が流されている。

僕らはショックを受け家路についた。

そして住民の人も立ち上がり募金活動が始った。

ここまではいい。

しかしまずかったのは小銭の募金がうちに集結ししかも僕の部屋に置かれることになったことだ。

これは完全に親のミスだ。

でかいカンカンに山のように小銭が入ってる物が手を伸ばせばそこにある。

良識ある子供なんて子供じゃないし、いたらそいつはウソッパチだ。

気持ちすら悪い。

幸い僕は気持ちの良い良識ない子供だったのでこりゃいいとばかりに、

毎日ひとつかみほどの小銭をポケットに流し込んでは口笛を吹いて町へくり出した。


僕の未来は確実に安泰だった。

時代はインベーダーブーム到来の世の中。

渡りに船である。

僕は缶ジュースを浴びるほど飲みながらインベーダーと対決した。

自分で言うのもなんだが、僕はケチな男ではない。

友人にも豪勢に降るまい、『お前の家にもカンカンがあるかもしれない』とそそのかし、

さらに溜まった小銭をさらに多くの友人を巻き込み豪遊したのだ。

僕らはこれを<カンカンショック>と名付け、使い放題、あればあるだけ使いまくった。

それはまさしく昭和のS、フィッツジェラルドだった。

毎日がパーティーだった。

女ッ気の全くないパーティーだ。

しかし始まりがあれば終りが来るものだ。

いくら何でも山盛りの小銭が入れても入れても少なくなっていったら誰でもわかる。


僕らは万引きで捕まったヤツらより怒られそいつら以上の最低の人間としての烙印を押された。

ヒステリックな母は怒りを通り越しカラダがひからびるまで泣いた。

女の涙に弱いのはいつの時代も同じで僕も少し反省した、、、。

しょうがないのでインベーダーは電器屋からゲーセンにうまく乗り換えた家の息子をそそのかし、

鍵を借りてクレジットを強引に99にし1日楽しむことにした。

缶ジュースは浴びるほどは飲めなくなったがまぁいい。

インベーダーさえできれば。

もし人生の中でゲームにさく時間が一定量決まってるとすれば僕はこの頃全てを使い果たしてしまったのだろう。

その後ラリーXとパックマンを最後にゲーム界から引退した。

長くなったがそういうわけで僕にヘソクリの概念は無かったのだ。


同時にやっていたのは第一次ブームのスケボーだ。

この頃のスケボーは今と違いファッションと結びついてたりもしてなくオシャレ感覚もあまりなかった。

僕らは階段を何段飛べるかのみを競い合った。

しかしこれも(前に書いた石投げ合戦同様)ケガ人が出て禁止となる。

始めて自分の金で映画に行ったのもこの頃。

新宿へ男3人でジャージを着てソフィマルソーの『ラ・ブーム』を観た。

ジャージはわざと着ていった。

フランス映画をジャージで観るということに意味があったのだ。

帰りに老舗の洋食屋でロールキャベツを食べて帰った。もちろんジャージだ。

(ここは最近久しぶりに行ったがあいかわらず安かった。が、味も安かった。ていうかしょっぱかった。

ていうか今でもジャージで入れる雰囲気でした。それはあり。)


しかしこの大ヒットフランス映画のおかげかそれからの僕の映画趣味はヨーロッパ方向に流れることとなる。

そして辿り着いたアキ・カウリスマキなどのシニカルなヨーロッパ映画を好むようになったことと、

この<ジャージで観るフランス映画>の感覚は似たようなものがあるのかもしれない。


この洒落た世界を破壊し尽くすのは一体いつの事になるのだろう、、、。


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