■□■ petty cash book.3 ■□■
 3ページ目
 
 楽しい冬休みも終わり、
 残ったお年玉は貯金してしまった。
 すっかり普通の生活に戻ってしまったつまらなさが、
 おこづかい帳にも表れている。
 つけ始めて3ヶ月目に突入した1月。
 男女の仲でも倦怠期がやってくる頃。
 テンション下がりまくりである。
 おこづかい帳も存続の危機だ。
 表紙の小鳥も泣いている。

 しかし、マンガが150円とは。
 何を買ったのか。
 ドカベン?一球さん?キャプテン?プレイボール?
 包丁人味平?サバイバル?ガキデカ?750ライダー?
 がんばれ元気?漂流教室?
 
1月20日 しらんうちにマイナス¥670

しらんうちに。

しらんうちに。
しらんうちに?
月収以上の大金を使っておいて「しらんうちに」とは何事か。
これが妻子持ちのサラリーマンなら間違いなく浮気を疑われる行為である。

1月25日 なぜか200あった プラス¥200

「なぜか200あった」
これはラッキーだ。
200円あればマンガも買えるし、
プラモデルだって買えた時代。
何を買おうかワクワクする瞬間。

1月25日 なにかのまちがい マイナス¥200

バブルが一瞬で弾けた。

1月30日 なくした金が見付かった プラス¥50

幸せは忘れた頃にやってくる。
200円の夢は一瞬だったけど、分相応の幸せがやってきた。
机の引き出しの中から出てきたのか。
部屋の片隅に落ちていたのか。
いずれにしても、これは大人でも嬉しいイベントだ。

2月3日 でんち マイナス¥200

電池を買ったら残高が10円になってしまった。
「10」という文字が心なしか薄い。
2月6日 おちてた プラス¥110

お金を拾ったらしい。
それを自らの収入にして、きちんと書いている。
几帳面と言えばそうなのかもしれないが、
人間としてはどうなのか。

2月10日 プラモデル マイナス¥380

全財産の全てを大好きな戦艦に注ぎ込んだ。
悔いはない。2隻も買えた。
ありがとう、6日にお金を落とした人よ!!


 ■□■サトウヨシヤ・本人解説■□■ 

今回のページはヒドイ。

僕が親だったら書き直しの上、不明金没収くらいはしそうだ。

このおこづかい帳は親がやらせてたのではなく、自主的に遊びの一環としてやっていたのか?

親がやらせていたのであれば、チェックくらい入りそうなものなのに。

いくらなんでもこれじゃぁ意味がない。

暴走しすぎだ。


そしてマンガだね。

あぁマンガは読み倒したよ。

狂ったように。

隣のビルに入ってる三省堂のマンガコーナーで朝から晩まで。

そして端から端まで。

自分の家のように座りながら駄菓子を喰い、むさぼりページをめくった。


夏休みに入れば遊ぶ予定が無い時はまずマンガを読みに出かける。

前にも書いたがウチにはクーラーが無かったので、暑くて家に居られなかったせいかもしれない。

マンガが好きに読めて、静かで、涼しく、こんな天国はない。

BGMはポールモーリアだ。

しかしポールモーリア全作品を有線かなんかでランダムにかけているならまだしも、

この本屋はおそらく10曲入りくらいのアルバムを永遠にかけていた。

朝から晩まで夏も冬もだ。

BGMの巨匠、ポールモーリアだけあり,音は耳からスーッと抜けていくのだが、

10曲くらいが永遠にかかってるとマンガの中の別世界に行ってしまってるさすがの僕にも耳につく。

そして本屋に一日中いた日の夜の夢の中までポールモーリアのBGMで飾られてしまう。

毎日働く店員さんは気が狂わないのだろうか?と子供心にも心配したものだ。

今でもポールモーリアを街なかで聴くと、この本屋で過ごした日々を思い出す。

時代は半ズボンの小学生の頃、季節は夏だ。

猫が涼しい場所を見つけることが本能的にあるとすれば、

僕はこんな天国みたいな場所をいつも探していた。

楽しく邪魔されずに過ごしやすい気温でゆっくりと進む時間に包まれる、

そう!まさにハワイの無人島のような!(行ったこと無いけど、マンガにそう描いてある)


ドカベン?一球さん?キャプテン?プレイボール?

包丁人味平?サバイバル?ガキデカ?750ライダー?

がんばれ元気?漂流教室?


管理人エミールも同世代だけあっていいところをついてくる。

しかし年がばれるのでドラゴンボールとか味っこ?辺りにしておけばいいものを、、、。

関係ないが750ライダーの委員長のことは2、3年前、誰かが唄にしていた。

いいとこつくね、なんて思ったりした。


質問に答えるとまず、

一球さん、ガキデカはほとんど読んでない。

ドカベンも一回くらいしか読んでない。

理由は絵があんま好きじゃなかった。

同じ理由で質問にはないがマコトちゃんも一回しか読んでない。

しかしストーリーが良ければ絵が嫌いでも読んだ。

漂流教室などいい例だ。最近復刻版をコンビニでまた読んだ。


あとの作品は穴があくほど何回も読んだ。

その他、手塚、藤子物などは全作読んだし、

それ以外の子供向け巨匠の作品も読み倒した。

あるいは人間交差点、夢工場のヒロカネ物、ゴルゴ13のサイトウプロ物、

俺の空の本宮ヒロシ物、などの大人マンガも読んだ。

ガロとかに掲載されてたマニアックなつげ物とかも読んだし、三国志などの歴史物も読んだ。

少女マンガもけっこう読んだがちょっと名前が出て来ない。

大島ユミコは好きだったがこの時代に読んだかは定かではない。

気に入った作品はホント、バカみたいに何度も何度も読んだ。

なんて言ったって時間がある。

それが子供だ。塾とかにも行かなかったし。(むしろ憧れだった)

さらに今と違い無駄に時間を使ったって何とも思わない。

やりたいことを、やりたいだけやるだけだ。

喰いたいものは喰いたいだけ喰うし、

思い付いたギャグは即発表するだけだ。

そこには何の羞恥心も、怖れもない。

そしてなんの人間関係のしがらみもない。


オレ対マンガだ。

何故読むのか。

当時の僕だったら『そこにマンガがあるから』と答えるだろう。

聞くだけ野暮だ。

マンガは手を伸ばせばそこにあり、瞬時にいろいろな世界へ連れ出してくれた。

宇宙創世から未来のスペースコロニーまで。

様々なストーリーと知らなかった知恵、知識。

現実から非現実の世界へ、、、。


それ以降は自然の流れで活字物に移っていくのだが、この頃マンガによって知らないことを知った時の興奮と、

フィクションによる知の冒険旅行のスリルは今の本の読み方に確実に影響を与えているのである。

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