■□■ petty cash book.2 ■□■ | |
2ページ目 お正月がやってきた。 子供にとっては稼ぎ時のお正月。 サトウヨシヤ少年も一気に稼いでいる。 きっと、もらった瞬間に妹と2人で部屋にこもって 「いくらもらった?いくらもらった?」 「わっ!すげぇ!オダイさん3000円だ!」 「えーーーー?お兄ちゃんずるーい!私は2000円なのにぃ」 などと大騒ぎしながら袋を開けたはずだ。 あの2人はそんな兄妹だ。 そしてサトウヨシヤ少年は 「忘れないうちに書いておこうっと」 と、おもむろにこのノートを取り出してコレを書いたにちがいない。 おとし玉をくれた人の名前まで詳細に書いてあるが、 もらった金額で態度を変える・・とか、そういう子ではなかっただろう。 詳細まで書いたのは、きっと「書きたかったから」。 おこづかい帳の行を埋めるのが楽しくてしょうがない。 そんなお正月。 |
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12月27日 28日 31日 父にもらったプラス¥50 ¥40 ¥100 | |
年末で、父カツオもお正月休みだ。毎日のようにおこづかいをもらっている。 そして貯めている。貯金のためのカツアゲ。 カツアゲにしては金額が可愛いすぎる。タバコのおつりか。 |
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1月1日 おとし玉(父)プラス¥3000 | |
嬉しい元旦である。 昨日の紅白の興奮が冷めないうちに、今日はかくし芸大会だ。 スターをたくさん見られるお正月。 しかもおとし玉ももらえる。 はしゃいで意味も無く踊り狂う様子が目に浮かぶ。 |
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1月4日 母さん プラス¥200 | |
あれだけおとし玉をもらったのに、まだ細かく貯めている。 貯めることが楽しくてしかたない。 おこづかい帳を書くことが嬉しくてしかたない。 守銭奴になっている。 |
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1月5日 プラモデル モデルカラー マイナス¥1500 ¥940 | |
お正月休みだったお店が開きだした。やっぱり使わずにはいられない。 向かったのは東急のおもちゃ売り場。何のプラモデルを買ったのか。 お得意の戦艦か。 サトウヨシヤグループのアンケートの「短所」に「調子にのりやすい」と書いていたが、このことか。 |
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1月8日 5円なくした マイナス¥5 | |
大失態。 | |
1月13日 プラモデル マイナス¥2595 | |
また買っちゃった。 しかも、この前よりイイやつ。 |
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1月17日 500 マイナス¥500 | |
500円どうした。 |
■□■サトウヨシヤ・本人解説 ■□■ |
正月は確かに子供にとって激しく小躍りするイベントのひとつだろう。 なんせ金がもらえる。 ただでだ。 しかしうちの親戚にはいわゆる大金持ちと呼ぶような家はなかった。 正月明けに金持ちの友達にお年玉の稼ぎを聞いてみるといつも苦渋の思いをしたものだ。 金持ちの家には金持ちの親戚がもれなく付いてくるものだと心に刻んだあの少年時代、、、。 うちは父方に7人、母方に1人(ここの叔父さんは母の兄だったが気前がよかった) おじいちゃんの家に集合して最高人数にもらったとしても、桁がひとつ違う。 子供心にも無労働のガキにこんな大金を無償で与えて如何なものか?と思ったものだ。 まぁそんなやつに僕ら貧乏人の子供達は上手いこと持ち上げて駄菓子屋を買い占めるごとく、たかりまくるのだが。 この頃ハマっていたもの。 プラモデル、エアガン、ゴルフ、小鳥。 プラモの話。 僕はまぎれもなく戦艦派だった。 なぜだか、わからない、、、。 ヒーローを聴くと思い出す、セメダインの匂い。 『ヒーロー、ヒーローになる時、それは今〜!』 そんな曲をラジオから聴きながら友達の家に集合しては各自別ジャンルのプラモを作っていた。 戦艦、飛行機、レースカー、戦車etc。 今思えばアニメチックなものはその頃無かったように思う。 あっても作んないけど。 その友達の家の道向いには広大な敷地を持つ大学があり、 プラモに飽きると自分らで作ったルールのゴルフとかしていた。 それかエアガンの打ち合い。 しかしそれでは物足りなくなった僕らはスリルを求めて、陣地を決め石の投げあいゲームをしていた。 2001年宇宙の旅の冒頭のシーンのような、原始的な戦いだがこれは子供ながら異常に興奮した。 だって当たったらホントに痛いからね。 真剣勝負にしか真のスリルは生まれない。 それをこの頃学んだ。 しかしその遊びは友達に直撃した石が彼の頭をざっくり割り、血まみれで救急車で運ばれた日から禁止となる。 プラモデルだよ、話って。 僕の楽しみ方はまず戦艦のプラモデルを一生懸命作り、 それを風呂に浮かべ中の空洞にライターのガスを注入。 火を付け爆破。 ゆっくり沈んでゆく戦艦の最期を見届ける。 以上、これに尽きる。 異常に興奮! スーパーカーが流行った時もかるく熱中はしたが、カタカナの車名が覚えられず挫折。 かといって戦艦の名前も覚えてない。 ディオラマ(箱庭)は細かすぎで、しかも渋すぎて放棄。 もう少し大きくなってからラジコン飛行機に挑戦。 初飛行で大破。 それ以来やってない。 インターホーンを作って部屋に設置。 誰も鳴らさないので、風呂で爆破。 鼓笛隊に入って小太鼓希望。 笛にまわされた。 絵を描かされたが、リアリズムすぎて笑われた。 顔の色が土色だったから。 焼けた肌をそのまま描いただけなのに。 それで嫌いになった、、、。 などなど、少年時代は毎日が異常に盛り上がりつつも挫折の連続であるのだが、 きっと気にとめることもなくアッパーな感じで生きていたのであろうと思われる。 GUFFAW TOP |