■□■ petty cash book.1 ■□■
 1ページ目
 多分小学校4年生の時のもの。

 この「こづかいちょう」の裏表紙には 「8月11日から」と書いてあるのに、
 1ページ目でいきなり11月である。

 多分、8月から書いたものは本人的に納得がいかずに破いたのだろう。
 「今日から俺は生まれ変わるぜ!」という意気込みが感じられる。
 がんばれ、子供のサトウヨシヤ!
 これを書いていた時には、 まさか数十年後に他人の目に触れるとは
 夢にも思っていなかっただろう。 しかもワールドワイドウェブで。


 一見ものすごく滅茶苦茶な計算だが
 彼にしかわからない秩序がちゃんと保たれている。

 消費税がないのが懐かしい。
11月21日 こずかい プラス¥500

初日はもちろんおこづかい日だ。
表紙に親切に「こ
かいちょう」と書いてあるのに、のっけから「こかい」
日付が何回も書き直されている。
消せばいいのに。
初日の1行目なんだから。さっきまでの意気込みはどうした。


11月24日 前の有り金 プラス¥155

どう考えても、初日の残高間違いである。
しかし、
間違いを認めずに

3日後に足している。頑固な子供だ。経理には向いていない。
でなければ、書き方を知らなかっただけか。
「有り金」という言葉使いが昭和のテレビっ子丸出し。犯人気取りか。

11月26日 原のたん生日 マイナス¥150

大人ぶって「誕生日」を漢字で書こうとするも、
難しすぎて失敗。

多分、今でも書けないことだろう。150円で原くんに何をプレゼントしたのか。


11月28日 きふ金 マイナス¥5

残高¥1005の中から¥5を寄付。
財布の中を掃除しているとしか思えん。

12月14日 カップヌードル マイナス¥230
月収¥500の男が、その約半分をラーメンに!
そんなに好きなのか、ラーメンが。
12月26日 あまり プラス¥10
早速 合っていない。

■□■ サトウヨシヤ・本人解説 ■□■

そうか、小学校の時にすでに、こづかいの半分をラーメンに注ぎ込んでいたのか。

そういえば僕のラーメン道(引退済み)と料理道は小学校の頃から同時に始まりまして、、、。


俗に言うカギッ子だった僕は夕方4時からの『太陽に吠えろ!』や『大都会』の再放送版を見ながら

生協ラーメンを作って食べるのが日課だった。

うちの家はどちらかといえば普通より少し貧乏くらいの階級に属していたが、

海上損保に勤める母が、船便でかるく傷付いて商品にならないカニ缶やらキャビアを

会社で激安で買える為、家中に高級食材がゴロゴロしていた。

僕はそんな物をふんだんに生協ラーメンにぶち込んでは

究極のラーメンの実験をくり返していた。

子供ながらも『納得がいかない』と呟いては何度鍋をキッチンに投げ付けたことか、、、。

旨く作れない自分へのイラダチと、ものすごい形相でラーメンが入った鍋を投げ付ける僕を見て

幼い妹は恐くなりよく泣いていたものだ。

そのたびにキャビアラーメンやカニラーメンは

へばりつく2日前のしなびたソーメンごとく、深く暗い下水口へ流れて行った。


ちなみに中学校の弁当の中に<ボイルドエッグ ウィズ キャビア>をどうどうと入れていたのは、

日本で僕ら兄弟だけであろう。

それを金持ちの友達に『オレはもうキャビアとか喰い飽きてるからやるよ』と言っては悦に浸っていたのを思い出す。

金持ちの息子はヒャァヒャァ言いながらむさぼり喰ったものだ。

その時の僕は王様だった。

妹はもう少しウワテで白飯とキャビアの瓶だけ学校にもっていき羨望のまなざしの中、

キャビア丼をその場で作り食べていたらしい。

オシャレだ。

18才に成長した僕は仮の王様気取りより実を取ることの方が現実的と思い、

この激安システムを利用して少しだけボディに傷付いたギターアンプを¥3000くらいで買っては

友人や楽器屋に売り付けてこづかいにしていた。

へんなオブジェとかつくり出していた妹はもう少しアーティスティックで、

毛皮のコートを半袖にしてみたりしていた。

オシャレだ。


ラーメンに話をもどそう。

その後インスタントラーメンを極めた僕は本物の味に出会いたくなった。

中学校にあがると土曜日だけはお昼御飯代をもらって外食することができたので、

金を握りしめ外へ飛び出したのだ。

限られた空間での創作にはもううんざりだった。

僕はまるでゴダールの様だった。

予算はたしか¥500程度だったと思うが当時のラーメン一杯の金額にしては充分な額だ。

そこで地元のラーメンを食べ歩き、結局家のとなりのビルに入ってる札幌ラーメン屋におちついたのだ。

ここから数年間、ラーメンといったら味噌か塩の時代が始まる。

高校を卒業して音響専門学校を最初の夏休みでドロップアウトした僕は

激しくも怠惰な音楽人生に足を踏み入れていた。

そして都内はもちろんツアー先などで地元にはないラーメンをことごとく喰い尽くしていった。

サッポロラーメンか昔風東京ラーメンくらいしか知らなかった僕には衝撃の日々の連続だった。

なつかしいなぁ、桂花ラーメン、なんでんかんでん、千駄ヶ谷ホープ軒、府中らいおん、

環七ラーメン、調布くまぼっこす、高円寺タンタンetc,,,

まだ10代だった僕はこんなドクドクな店に出会い夢中だった。ラーメンの流れ自体も

九州ラーメンや背油ラーメンなど濃い方へ濃い方へいってた時代背景もある。

痛飲したあとこんなもので締めていたら身体にいいわけないが、

まだまだ若いのでたまにゲロを吐くくらいで済んだ。

次にはまったのがつけ麺と醤油ラーメンで、いわゆる大勝軒系のものだ。

僕の中では10年前に終わってる話なのだが、今やっとつけ麺ブームが来ている。

つけ麺はあのモッチリした感じの麺がたまらない。

逆に言えばモッチリでないとつけ麺としては認められない。

それを魚ダシの効いた濃厚なスープにつけて食す。たまらない、、、。

そしてそれがきっかけとなり魚系醤油味ラーメンの時代へ突入していく。

20代半ばくらいからの事である。

それと平行しながらぼちぼち出始めた御当地ラーメンを試していく日々だった。


そして30才を機に青春の象徴でもあったドクドク系、高円寺タンタンを卒業宣言。

その後今住んでる家の近くの強烈なラーメン屋に出会いもうこれ以上求むまいと、

20年近く精進してきたラーメン道もひっそりと引退。


今振り返ればその時期にはまってる味を軸にいろんなラーメンを食べてきたものだと思う。

とはいえ年に一回くらいは酔っぱらって体調も良くノスタルジーな気分に浸りたければ

青春タンタンの味噌オロチョンは食べるし、新しい店が出来てついでがあれば入ってもみる。

最近のラーメンブームに辛辣なツッコミを心の中でいれることだってできる。

インスタントのサッポロ一番味噌味と塩味は常備してるし、

ラーメンの話題で一夜を過ごすことだって、ケンカすることだってできる。

不味いと思ってるラーメン屋を好きだという人から遠ざかることすらできるし、

逆に同じ好みで強い連体感を感じることも出来る。

去年、友人の誕生日プレゼントに一日がかりの手づくりラーメンを贈ったりもした。


、、、が、もう終わったことなのだ。

サヨナラのあとのことだ、、、。

こんなことはあの頃の僕から見ればたいしたことではない。

確実に何かが抜け落ちた僕の行動。いうなればこれは惰性だ。流しだ。余生だ。

エンジンを持たない紙飛行機みたいなものなのだ。


足下に落ちたそんな魂の抜けた紙飛行機に一瞥してから僕は、

空を見上げて味平のドラム缶ラーメンに想いを馳せる。

君が僕を変えたんだ。

まぎれもなく君が僕を変えたんだと、、、。

これからはあのアツイ日々を懐かしみながら文句も言わず楽しくススッていこう。

もうダシを瓶にコッソリ入れて持ち帰るのも止めよう。

もう12食連続ラーメン食べたからって自慢するのもやめよう。

カリスマラーメンのオヤジのあとをつけて私生活まで覗くこともだ。


そうしよう。

それがいいから。

あぁそれがいいから、、、。


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